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綿花王国

綿花生産は短繊維の綿花から種を分業する作業を簡易化したEホイットニーの綿繰機の発明(1793)により飛躍的に成長し、1816年にはサウスカロライナ州とジョージア州だけで12500万ポンドを生産し、生産量は世界一でした。

 

粗放農法による綿作で土壌は枯渇し、新しい土地を求めて綿作の中心地は低南部に移動します。チョクトー、チェロキー、チカソー、セミノール族といった南東部の先住民の駆逐が完了する1816-40年に、いわゆる綿花王国が完成し、1790-1860年にかけて約100万人の黒人奴隷が強制的に低南部に送り込まれました。綿花の生産量は1800年から10年ごとにほぼ倍増し、綿花輸出は総輸出額の半分以上を占めていました。

 

綿花生産は合衆国の驚異的な経済発展の原動力でもありました。南部は北東部の綿工業に原料の綿花を供給し、北東部の工業生産や西武の農作物を購入することにより両地域の経済発展に貢献するとともに、近代的に必要な技術や工業製品を輸入する金融上の信用を合衆国にもたらしたのです。

 

南部諸州では、奴隷は厳しく管理されました。財産所有、婚姻、市場での売買などの自由はなく、許可なくプランテーションを離れることは禁止され、反乱や反乱計画は死罪でした。しかし、実際には結婚して家族を持つことは黙認されていたので、奴隷は家族を作り、家族を中心とし、複雑な親類関係の網を巡らせ、独自の文化を作り上げます。奴隷の反乱を恐れる白人の監視が厳しく、彼らの抵抗は放火、逃亡、自殺、破壊行為といった個人でできるものでした。

 

 

南部の白人は民族的にはアングロ・サクソン系かスコッチ・アイリッシュ系で、宗教はメソジストかバプティストと比較的均質で、当時南部は合衆国で最も殺人事件が多く、暴力的で非民主的な社会でした。