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第2次英仏百年戦争

アパラチア山脈の北東部からミシシッピ川までの地域には、先住民インディアンが居住し文化を築いていましたが、17世紀後半になると、フランス人が毛皮交易を基盤とする植民地を築き、他方、イギリスは大西洋岸から農業植民地を拡大して植民地獲得に乗り出しました。ヨーロッパで一貫して敵対した両国は植民地においても利害が対立します。今回はイギリスがフランスに対して優位を築きアメリカを含み世界で領土を拡張した、第2次英仏百年戦争について勉強しましょう。

 

17世紀末から18世紀にかけてヨーロッパで続いたファルツ継承戦争(1688-97)、スペイン継承戦争(1701-13)、オーストリア継承戦争(1740-48)、はそれぞれ、北米でウィリアム王戦争(1689-97)、アン女王戦争(1702-13)、ジョージ王戦争(1744-48)を引き起こし、また、北米でのフレンチ=インディアン戦争(1755-63)と連動し、七年戦争(1756-63)プラッシーの戦い(1757年)と、北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、インドで戦争が繰り広げられました。

 

この一連の植民地での戦争はイギリスの優位のうちに進み、1763年にはパリ条約が締結されました。これはイギリス、フランス、スペインの三国間で締結され、イギリスはフランスからカナダとミシシッピ以東のルイジアナ、さらには地中海のミノルカ島、アフリカのセネガル、西インド諸島のグレナダ、トバゴなどを、スペインからはフロリダを獲得しました。

但しスペインはフランス側への参戦を条件にミシシッピ以西のルイジアナを獲得しています(フォンテンヌブロー秘密協定、1762年)。

また、インドでは、フランスはシャンデルナゴル・ポンディシェリ以外の全ての地域でイギリスの優越権を認めこととなりました。

 

このように、1763年のパリ条約ではイギリスの北アメリカにおける優位、フランスの北アメリカの植民地全ての喪失が確定しました。

 

同時にインドでもイギリスの優位が確定し、植民地国家としての第一次英帝国が完成しました。