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植民活動

アメリカ合衆国はイギリスから独立したのだからもともとイギリス人が植民したのだと捉えている人が多いのですが、アメリカ合衆国が承認された1783年では東海岸の13州のみだけですし、現在カリフォルニアに行けば地名はスペイン語、多くのラテン系の人々、そしてメキシコ料理店であふれています。都市名がスペイン語というのは、まずその地はスペインによって築かれたからです。

スペインのイザベル女王の援助を受けたコロンブスは1492年にサンサルバトル島に到着し、その後スペインがアメリカ大陸を侵略しました。それではその後どうなったのでしょうか。今回はヨーロッパの国々の初期の北アメリカへの植民活動を見てみましょう。

 

スペイン

16世紀前半にはメキシコを征服して植民地を建設すると同時に、フロリダからアメリカ南西部にかけて探検を行い、1565年にはフロリダにサンアグスティン(現セントオーガスチン)、1609年にはニューメキシコにサンタフェを建設し、植民活動の拠点としました。

また、17世紀後半にはテキサスとカリフォルニア方面へ進出し、1710年にはテキサスにサンアントニオ、1776年にはカリフォルニアにサンフランシスコ、1781年にはロサンゼルスを建設しました。

 

フランス

1534年、フランソワ1世の命を受けて、ジャック=カルティエがセントローレンス川流域を探検し、この地をカナダと名付けました。フランスはこの地をフランス領とすると宣言し、1603年アンリ4世の時に植民地成立、1608年にはその拠点としてケベックをセントローレンス川河口に建設、勢力圏を五大湖方面へ拡大し、1642年にはセントローレンス川中流にヴィルマリー(現モントリオール)を建設しました。植民目的は先住民との毛皮交易でした。

その後17世紀後半ミシシッピ川流域に進出し、1682年その地をルイジアナとして領有、1718年にはミシシッピ川河口にヌーヴェルオルレアン(現ニューオリンズ)を建設しました。

 

オランダ

1614年にハドソン川上流にフォートナッソー(現オルバニー)を拠点にフランスと対抗しながら先住民と毛皮交易を展開しました。また、1625年には、ハドソン川河口のマンハッタン島にニューアムステルダム(現ニューヨーク市)建設し、ニューネーデルランドの中心としました。

しかし、第二次英蘭戦争中1664年にイギリスがニューネーデルランドを占領し、1667年にイギリスがオランダ領植民地を併合しました。

 

イギリス

1607年にヴァージニアにジェームスタウン、1620年にニューイングランドにプリマス建設し、1667年にオランダ領ニューネーデルランドを併合し、18世紀前半までには北アメリカの東海岸一帯に植民地を拡大しました。

多くの移住者が流入し、黒人奴隷も導入され、農業が発達しましたが、17世紀後半以降に進出したハドソン湾沿岸やカナダの内陸部ではフランスに対抗しながら先住民との毛皮交易も行いました。

 

スウェーデン

1638年にデラウェア川河口にフォートクリスティナ(現ウィルミントン)を植民地拠点として建設しました。しかし、先住民と毛皮交易を開始したが、本国からの移住者は増えず、1655年にオランダに占領され、植民地は消滅しました。

 

ロシア

18世紀半ば以降シベリア経由でアラスカ南岸に進出して先住民との毛皮交易をおこないました。

 

19世紀初期にはカリフォルニア中部まで南下し、1812年に毛皮交易とアラスカ向け食糧確保(主としてオットセイ捕獲)の拠点としてフォートロスを建設しましたが、その後オットセイ減少になどから1841年には撤退し、アラスカ経営に集中しました。